Monday, 15 June 2015

食が人を変える

From

http://homepage2.nifty.com/motoyama/index.htm
本山よろず屋本舗

食が人を変える



 私が食品添加物や、経費毒と言われる体内から入る毒を極力減らす食生活を心がけるようになってから1年半ほど経ちます。
 外食する際は、できれば有機栽培されたものを食べられればいいのですが、そうでないケースも多々あります。その場合は自分の中に順位づけがあって、蕎麦、魚料理、油分の少なそうな中華料理、などの順で選ぶようにしています。
 肉は極力控えるようにしています。これは私が肉嫌いというわけではなく、遺伝子組み換え食品に由来した物はできるだけ食べないと決めたからです。
 こんなことを書くと、肉が遺伝子組み換えと何の関係があるんだと、大いに突っ込まれそうです。
 その理由は国内産の牛、豚、鶏であっても、海外から輸入された遺伝子組み換え穀物による飼料で育てられているからです。牧草だけで育てられた牛であればその限りではありませんが、目が飛び出るような値段でしょうから、私のようなビンボー人が口にできるはずもありません。つまり国内産と銘打った肉でも、間接的に遺伝子組み換え食品を食べていることになるのです。
 日本は今、世界最大の遺伝子組み換え食品の消費国となっています。その輸入量は(世界一の)年間2000万トンにも上ります。コメの消費量が800万トンですから、その量の多さはコメを圧倒しています。これでは日本人の主食はコメではなく、遺伝子組み換え食品と言ったほうが的を得ているかもしれません。
 輸入された遺伝子組み換え穀物は、家畜飼料の他に、食用油の原料、または加工食品に混ぜ込ませる形で私たちの口に入ります。遺伝子組み換えを大量に食べている日本人の多くが、遺伝子組み換え食品を食べている実感がありません。それは巧妙に遺伝子組み換えの表示義務を逃れるような細工がされているからです(どのような細工かは、興味のある方はご自分で調べてみて下さい)。
 それゆえ私は自宅では、できるだけ加工食品を食べないようにしています(国産大豆100%の納豆や豆腐などは食べます)。
 こうした努力により、私の体内から毒素がだいぶ排除されたと思っていますが、同時に体質も大きく変わることになりました。
 食品添加物や、野菜や果物などに残留している化学合成物に敏感に反応するようになってしまったのです。
 一例を挙げます。
 半年ほど前までは、普通にスーパーで売っているリンゴが食べられたのですが、最近は食べると気持ち悪くなるのです。それで自然食品店で減農薬のリンゴを買うようになりました。
 ある時、自然食品店で減農薬のリンゴを4個買ってきたのですが、その最初の1個は食べても大丈夫でした。
 ところが2個目を食べたら、気持ち悪くなったのです。減農薬のリンゴでもダメなんだと思って、残りの2個は捨てようと思いました。ところが、せこい私は捨てるのがもったいなくなって、物は試しと食べてみたのです。すると、大丈夫だったのです。なんとも不思議な話でした。
 そこで千さんのお爺ちゃんセッション(注0)の際に、なんで2個目のリンゴだけ気持ち悪くなったのか聞いてみました。
 すると、仕分けの段階で本来は入ってはいけない(普通にスーパーで売っているレベルの)農薬漬けのリンゴが、間違って紛れ込んでしまったんだそうです。それを運悪く私が買ってしまい、2個目に中ってしまったというわけです。なるほどです。

 普通にスーパーや八百屋で売っているリンゴが農薬漬けだと言われて、驚かれる方もおられるかもしれません。
 日本は世界でトップを争うぐらいの、農薬使用国です。ヨーロッパの基準と比べてあまりのもおかしいため、日本のス-パーや八百屋で売っている野菜をヨーロッパに持っていったら、即廃棄処分になるといわれているそうです。その証拠に、木村秋則さんが言っていましたが、ヨーロッパから日本に渡航する旅行者のためのパンフレットには、日本の野菜は農薬漬けなので注意するようにと書いてあるそうです。
 ついでに言うと、日本は食品添加物王国でもあります。
 日本で認可されている食品添加物は1000種あまりと言われていますが、アメリカで140種、ヨーロッパの国々では、せいぜい数十種と言われています。

 さらに、魚介類には残留した消毒剤の問題もあります。
 私は、(以前にも書きましたが)魚介類を消毒する時に使う次亜塩素酸ナトリウムのような消毒剤が微量に残留していても反応するようになってしまいました(それゆえスーパーで魚介類を買う際は、消毒剤を使っていないものを選んで買うようにしています)。

 自宅で食事する時はこうしたルールを設けていますが、外食する際はあまり気にしないことにしていました。
 特に仲間との飲み会の場合は、牛肉だって食べることもありました。ただし、やはり食べても一口ぐらいにして、なるべく量は食べないよう心掛けていました。
 しかしそれでも飲んだ翌日は具合が悪くなるのです。
 最初の頃は、二日酔いだと思っていました。外で飲む場合は、普段飲む量を超えて飲んでしまうからです。
 でもあまりに具合が悪くなることと、二日酔いとは違った独特の気持ち悪さに襲われることに、だんだん気づいてきました。
 そこで再度、千さんのお爺ちゃんセッションのときに、聞いてみたのです。すると驚きべき答えが返ってきました。
 飲んだ翌日の気持ち悪さは、二日酔いよりも、食べ物に含まれる毒物の影響の方が大きいというのです。私の体質は本当に変わってしまったようで、外食する際は安全なものでないと難しいそうです。セッションの終わり頃に再度念を押されるように言われたのは、弁当を持って出かけた方がいいとのことでした。

 ここまで念を押されたのですが、軽薄な私はこのアドバイスをさっそく破ってしまったのです。
 テニス仲間との飲み会があり、私はのんびりとテニスをやれるのは今年ぐらいまでだから、できるだけ仲間とは親交を温めたいと思い参加することにしました。
 私にとって不幸だったのは、飲み屋が焼き鳥屋だったことです。
 タレと塩の大量の焼き鳥が出てきたのですが、私だけ他の物を頼むのは気が引けて、「まあいいや、食べちゃえ~」とばかり人並みに食べてしまったのです。
 すると翌日から3日間、地獄をみることになりました。
 翌日は朝は、起きれませんでした。
 昼頃になって寝床を抜け出したのですが、気持ち悪くて立っているのも億劫という状態でした。
 2日目はだいぶ改善したのですが、それでも1日中ずっと気持ち悪さは続いていました。3日目になって、やっと外出する気力も湧いてきたのですが、それでも身体が思い通りに動かない感触がありました。
 4日目になって、やっと気持ち悪さも取れて、普段の自分に戻れたという感じです。
 全くもって、ひでえ~目に遭いました。
 今私の関心事は、一緒に飲んだテニス仲間は大丈夫だろうかということです。今度会ったら、翌日に具合悪くならなかったか、ぜひ聞いてみようと思います。
 でもたぶん、私以外に誰一人具合悪くなった人はいないだろうと思います。なぜなら、我々が飲んだ店は、なんの変哲もない街で見かける普通の居酒屋だったからです。
 彼らは、大量の毒物を短時間で無毒化してしまうような超人の身体を持っているのでしょうか。
 いいえ、違うと思います。
 そうした毒物の大半は、確実に体内に蓄積されていると思います。
 なぜなら現代の日本人は、どんどん不健康になっているからです。
 日本の年間の医療費は過去最高を更新し続けており、2012年度は39兆円に達しました。介護費用を含む保健医療費全体でみれば、国内総生産(GDP)の1割を超し、先進国の平均を上回っているといいます。
 日本では寝たきり老人のような、QOL(クオリティオブライフ:生活の質)の低い老人が、欧米より圧倒的に多いと聞きます。
 医療技術が進歩していると言いながら、実質的には日本人はどんどん不健康になって病気になっているということです。
 これは、日本人の6人に1人(2000万人)が糖尿病予備軍と呼ばれ、2人が1人が癌になり、3人に1人が癌で死ぬ時代となっていることから頷けます
 日本人は食事その他から、大量の毒物を取り入れるようになってしまったということです。
 多くの日本人は、長年にわたり体内に蓄積した毒物で病気を発症するのに対し、私はその毒物を、身体に入った直後に体感するようになってしまったということだと思います。

 これまで食によって私の身体に起こった変化を書いてきましたが、ここから学校の給食を変えることで変化が起こったという話を、『給食で死ぬ!!』(大塚貢、西村修、鈴木昭平著、コスモ21)から抜粋して紹介したいと思います。
 平成4年(1992年)、著者の大塚貢(みつぐ)氏が、長野県の中学校に校長として赴任したとき、その中学校の荒れ方はハンパなものではありませんでした。


 ・・・<『給食で死ぬ!!』、p10~p11から抜粋開始>・・・

 赴任した中学校の状況 -- 非行を犯す中学生が続出!

 平成4(1992)年、私は長野県にある生徒数1200人弱の大きな中学校の校長に赴任しました。当時、そのA中学はとても荒れていました。しかし、他にも荒れている学校が多くありました。なかには廊下をバイクで走り抜ける生徒もいました。しかも急ハンドルを切ったりするため、床にはタイヤ痕が焼きつき、金べラやシンナーで落とそうとしても落ちません。それは、じつにひどい状態でした。
 そのA中学で5年間校長として奮闘したあと、平成9(1997)年から真田町の教育長となり、当時、町に6校あった小学校、中学校の改革に取り組みました。
 まずA中学での体験からご紹介します。
 その中学校では、校舎の内外に落ちているタバコの吸い殻を集めると、1~2時間でバケツ1杯分になるほどでした。そして毎日のように非行や犯罪が、何かしら起きます。
 どういう状態かというと、生徒が授業を抜け出し、外で群れてタバコを吸ったり、弱い者を引きずり出してきて、いじめて現金を巻き上げたり……。さらには学校外で空き巣をしたり、あるいは1人暮らしのお年寄りの家に行って脅したり、そんな犯罪行為を起こす生従さえいたのです。
 事件が起きると先生たちは、その都度対応しなければなりませんから、先生方もまた本当に疲れ切っていました。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 いやはや、凄いものです。
 これでは荒れているというより、犯罪者が学校にも通っているといった状態です。
 大塚氏は、荒れた学校を変革しようと以下の3つのことをします。

・つまらない授業の改革
・給食の改革
・学校に花を植える

 大塚氏は、生徒が学校を抜け出すのは授業をつまらないからだと判断します。
 そこでまず取り掛かったのが、先生方に授業を生徒にわかりやすく、かつ興味の持てるようにしてもらうことでした。
 これはある程度成功し、学校の荒れ方はだいぶ改善します。しかし生徒が起こす事件は減ったとはいえ、まだまだ起きます。大塚氏は、授業以外にも学校が荒れる原因があるはずだと考え、給食に目を付けたのです。


 ・・・<『給食で死ぬ!!』、p18~p21から抜粋開始>・・・

 コンビニ前で張り込む -- 食の調査

 このように、教師側の努力によって授業が改善されていきました。
 その結果、たしかに子どもたちのようすも変わり、机に伏していたのがビシッとした姿勢になり、教室を抜け出す子どもも少なくなりました。非行の起きる割合が少なくなり、学校に来なかったいわゆる不登校の生徒たちも登校するようになってきました。
 しかし、事態はまだまだです。何らかの事件がたびたび起きます。いじめの問題が起きたり、キレる子がいたり、やはり学習に無気力な子どもたちもいました。
 せっかく授業が魅力的になってもそういった問題が起きるのは、どこかに何らかの原因があるはずです。もはや教師の授業内容でなく、他の原因があるのではないかと、私は考えるようになりました。
 ところで、この地域では、小学校では運動会がありますが、中学校では運動会がありません。水泳大会・陸上競技大会・柔道、剣道などの競技大会。バレーやバスケット・野球の競技大会。これらのものを学校や地域、そして県大会として行っています。
 これらの大会で気づいたのは、お昼にコンビニ弁当やカップラーメンを食べている生徒がいたことです。コンビニ弁当やカップラーメンには、「県大会で頑張ってね」という”母の愛”が感じられないのです。
 そこで私は思い立って、ある競技大会の朝、5時から会場の近くのコンビニ前で、張り込むようにして子どもたちのようすを見ることにしました。
 すると、親子が次々とやってきました。車で乗りつけて、コンビニで弁当など、その日に食べるものを買っていきました。
 彼らの買ったものは、まずコンビニ弁当。それから、会場の給湯室でお湯をもらって食べるカップラーメン、あるいは菓子パン、清涼飲料などです。
 菓子パンを食べる子は、およそジュース類を飲んでいますが、そのパックを見せてもらうと、果汁など1%とか3%程度しか入っていません。ほとんど人工の香料によって、オレンジなどの味と色をつけたものです。

 お弁当にはお母さんの愛情が詰まっている

 このような生従の多くはおしなべて問題をかかえた子どもたちでした。つまり、かなり高い確率で非行問題を起こしていたり、いじめる側であったり、キレやすく、学習に無気力といった子が多かったのです。
 そういう生徒の場合、事件を起こして保護者に来てもらって「お宅のお子さんは」と話しても、あまり効果はありません。
 余談ですが、子どもが事件を起こして親にきてもらい、場合によっては警察官も立ち会っている場面では、およそ主導権を握っているのは母親です。20年くらい前は父親が主体でした。しかし近ごろは、口火を切るのは母親で、父親は小さくなって聞いています。
 母親が生徒に「こんなことをして、近所の人に知られたら、母さん、恥ずかしい」と言って嘆きます。また「父さんが会社でこの件を知られたら、同僚の皆さんに肩身が狭い」とも言います。
 すると、近ごろの子どもは「ふざけるな、てめえ。そんなことを言う権利があるのか!」などと、汚い言葉を平気で発します。どうしてなのでしょう。以前なら「俺、こんなことをして……。母さん、ごめん。父さん、ごめん。これからはしないよ」と言ったものです。
 いまは、その光景がまるで違います。
 昔は運動会とか遠足とか、何か試合に行くという日には、母親がいつもお弁当を作ってくれていました。試合に負けても勝っても「俺の好きな卵焼き、焼いてくれたかな」などと思いながら、胸を躍らせながら、お弁当を広げたものです。
 ところが、近ごろは子どもをコンビニに連れていき、お金を与えて好きなものを買わせているのです。
 そうなると、父親への思いも母親への思いも、薄っぺらになりがちです。
 ひどい子になると、親は「金を渡してくれる財布」くらいにしか考えていません。だから、親に対してそんな荒れた言葉が出てくるのでしょう。
 親子の絆(きずな)がたいへん弱くなっているのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ここで大塚校長は学校の給食を変えようと奮起します。
 しかし抵抗も大きかったのです。「今度の校長は疫病神だ」と言われる始末です。


 ・・・<『給食で死ぬ!!』、p27~p31から抜粋開始>・・・

 給食を変えるしかない!?

 子どもたちの、こんな現状が分かってきました。
 そこで私は、PTAの会合を開き、食生活の重要性などについて説明会を開きました。ちなみにこれは、校長のときも、後の教育長のときも同様でした。
 ところが、いくら話をしても若いお母さんたちはあまり聞く耳を持たないようすでした。特に非行を起こしている子どもの親御さんほど、まるで理解してくれません。
 「家庭で難しいなら、学校で食を変えるしかない」と、私は一大決心せざるをえなくなりました。家庭で食べないものを、学校で食べさせるしかありません。ともかく子どもたちのためには、食を変えなければならないのです。
 ちなみに当時は、教師の中にも不登校の教師が数人いました。その教師の授業は、他の教師が分担して受け持つわけです。代わりの教師は来ませんし、教えるべき子どもを遊ばせておくわけにもいきません。ですから他の教師に負担がかかり、疲労がたまります。これも、改善しなければならない緊急課題でした。
 それまでの給食はというと、たとえば子どもも教師も好きな「菓子パン」「揚げパン」がありました。さらに主食でいうと中華麺、スパゲッティ、ソフト麺などがあり、みんな大好き。一方、ご飯は1週間に1食程度しか出されません。そのご飯のときも、副食は肉が主流です。
 これでは、家庭と学校の食事がほとんど同じです。そこで、まず主食はご飯にすること。さらに副食も魚や野菜たっぶりのものに変えようと考えました。
 本当にありがたかったのは、栄養士のI先生が食に関わる生徒の健康を大変心配しており、早速取りかかってくれたことです。
 当時は、イワシが安く手に入りました。イワシの甘露煮(かんろに)ならば、頭から食べて骨も丸ごと食べれば、カルシウムやマグネシウム、鉄分も十分に摂ることができます。そこで美味しいイワシの甘露煮を試作して食べてもらったところ、まず教師たちの猛反対に遭いました。
 「こんなもの、食べられるか!!……」という反応です。子どもたちも、魚臭いイワシの甘露煮なんてとんでもないと言うし、親からも周りのみんなから反対されました。
 そして保護者から言われました。
 「校長、あなたが給食費を出してくれるならば、あなたのやりたいようにしていいです。しかし、給食費は私たちが出しているのです」
 まあ、お金を出すのだから食べたいものを食べさせろ、という発想です。当時はいろいろとトラブルも起きていたし、「今度の校長は疫病神だ」とも言われました。

 とんでもない校長と言われても私は引かない!

 当時は、前述のように授業改革が少しずつ実を結び始めていました。さらに、くわしくはあとで述べますが、花作りによっても、効果が見え始めていたのです。
 しかし、まだまだ道半ばでした。子どもたちは「土掘りや堆肥(たいひ)作りをさせられる」と不満を持つし、親は子どもが運動着を汚して帰るので、毎日洗濯をしなければならないから、大変です。ですから大反対でした。どこからか中傷があり県教育委員会が、ようすを見に来たこともあります。
 しかし、私は、県の職員に対しても絶対に引かない覚悟でした。
 県の教育委員会に対して「ふざけるな。そんなことを聞きに来る時間があったら、他にやることがあるだろう!」と強く思い、何としても給食を変えなければと、決意したのです。
 そんなあるとき、生従の食生活を変えなければと、真剣に取り組んでくれている栄養士のI先生が、32歳の若さで心筋便塞(こうそく)で亡くなった人の心臓の生体写真を借りてきて、教師と保護者、さらに子どもたちに見せてくれました。
 写真によると、動脈にコレステロールが真っ白く付着し、まるで石膏状態でした。心臓の周りにもたくさんの脂肪が付いているのが分かりました。そのために心臓は正常に収縮できないし、動脈の働きも不能になっていたのでした。
 これを見せて、「若くして死にたかったら、いまのままの食事を摂れ。ただし、その責任は持たないぞ!」と私は言いました。
 たしかに、その写真を見たらどんな教師や子どもも「この生活を続けたら、こうなるのか」「自分があと何年か経つと、こうなるのか」と、理解します。おかげで食の改善に理解を示す先生や生従が増えてきました。
 それで私は、1週間の5食すべてを米飯に切り替えることを決断しました。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ここで救世主が現れました。
 32歳の若さで心筋便塞で亡くなった人の心臓の生体写真です。
 これは抜群の効果があっただろうと思います。というのも生徒だけでなく教師にとっても、自分の命に関わる問題だと気付くきっかけになったからです。
 食は、本来は自分の命に直結する問題なのに、それまでは他人事のように聞いていたのでしょう。しかし自分の命の問題と認識すれば、人は本気になるものです。


 ・・・<『給食で死ぬ!!』、p31~p32から抜粋開始>・・・

 子どもたちが本を読み出した

 すると少しずつ、やがてはっきりと、子どもたちに変化が見えてきたのです。
 まずは「読書の習慣」です。荒れているときには、子どもはとうてい本を読む気になりません。ところが給食内容を変えてしばらくしたころ、休み時間になると、子どもたちがみな図書室に行って本を読むようになりました。
 給食が済むと、争うようにして本を読んでいます。図書室に120ある椅子が、瞬く間に生従で一杯になりました。
 椅子が満席になると、床に腰を下ろして読んでいます。床が一杯になれば、廊下に出ても読んでいます。これは、なかなか感動的な光景でした。食の改善による影響が大きかったと思います。
 図書館司書のT先生は、読書力を向上させるために、本気で取り組んでくれました。本の紹介を興味深くしたり、本のクイズを出したり、読書感想文に賞を出したりと、本への関心を高めてくれました。
 しかも、荒れていた時代には図書の紛失が年間に400冊もあったのに、生徒たちが熱心に本を読むようになってからは、紛失がゼロか1冊になり、読まれると本はなくならないことがわかったのです。これは素晴らしいことです。
 ところで1951年に始まった読売新聞社の「全国小・中学校作文コンクール」をご存じの方も多いでしょう。米飯給食に変えてから起きたもう1つの変化は、生徒がこのコンクールに参加して、特に指導もしないのに、毎年のように全国で1位か2位に入選するようになったことです。
 子どもたちの文章力がしっかり向上していました。1位、2位に入選した子どもの作文は高度で、大人の私が読んでも筋がじつに複雑でした。
 テーマは自由で字数制限もありませんが、質の高いものを中学生が書き上げており、これは嬉(うれ)しい驚きでした。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 大塚校長の授業、給食の改革、そして花壇を設置する取り組みにより、生徒は急速に変わってゆきます。
 最後は学校にタバコの吸い殻がほとんどなくなったといいます。非行による事件もほぼゼロになり、40~50人いた不登校の生徒は2人になったといいます。

 大塚校長が給食改革でやったことは、給食を洋風の食事から米飯に替え、副食を肉から魚や野菜中心に替えたたことだけです。
 たったそれだけのことに、周りから頑強な抵抗があったのですから、人間とはいかに現状を変えたがらない生き物かと思います。

 ここまで読まれてきた訪問者の中で、和食に切り替えたと言っても、その質が問題だというご意見の方も多いと思います。ひと口にコメと言っても、質の悪いコメもあれば、質の良いコメもあるからです。
 実際のところ大塚氏は、今度は真田町の教育長に就任し、地域の学校全体の給食の改善に乗り出します。
 大塚氏は給食に大量の防腐剤や軟化剤などの食品添加物が使われていることを知ります。そこで無添加の小麦を使おうとしたら、国は指定した小麦以外には補助金を出さないと言ってきたのです。
 また地域の大規模農家と契約して、無農薬有機栽培のコメを作ろうとしたのですが、これも国が許可しないのです。
 大塚氏はまたしても頑強な抵抗に遭うのです。

 結局は、それを乗り越えていくのですが、これもまた興味深い話なので、そのうち記事にしたいと思います。



(注0:千さんのお爺ちゃんセッション)

 当HPを以前から読まれている方はご存じだと思いますが、千さんのお爺ちゃんセッションとは、千さんという方が行うチャネリング・セッションのことです。5人の霊的な存在であるお爺ちゃん(実際には女性もいるので全員がお爺ちゃんではないのですが)と呼ばれるマスターが千さんを介してクライアントである私達の質問に答えてくれます。


(2015年6月13日)

No comments:

Post a Comment